アフリカで人気のライオンが殺されたことで。

アフリカでライオンがハンターに殺されたことがニュースになっていますよね。


どういう経緯なのか詳しくは知りませんが、たぶんトロフィーハンティングやスポーツハンティングの類なんだと思われます。人気のあるライオンで「セシル」という名前まであるそうで、「なぜセシルを殺したのか?」と非難轟々のようです。

合法的に行われたならスポーツハンティングだろうし、非合法(密猟)なら「犯人けしからん!」というところですが、私は常々、このようなニュースを見る度に違和感を感じることがあります。

非合法に動物を殺したらダメなのは当然として、合法的に動物が殺されたとき(狩猟や有害駆除など)に非難する人達に対してなんですが。

例えば、山間部の町にクマが出て、地元猟友会のハンターに駆除されたとします。すると、必ずと言っていいほど、「かわいそう」とか「山に返してやれ」といか言う輩が出てくるわけです。そんなこと言っても、好きでクマを殺しているわけではありません。自分たちの生活を守るために止む無く殺すわけです。

「殺さなくても山に返せばいい」っていいますが、世の中そんな簡単にはいきません。クマをどうやって山に返すのか? 麻酔で眠らせるのか? 適切な麻酔の量をどうやって判断するのか? 眠らせたクマをどうやって山奥まで運ぶのか? 途中で起きたらどうするのか? また戻ってきたらどうするのか? などなど、難しい問題があります。

で、止む無く殺すと非難される。自然と文明の境界線(つまり田舎)で生活する人はタイヘンです。場合によっては動物を殺さないと自分たちの生活を脅かされる、しかし動物を殺すと非難される・・・

私が違和感を感じるのは、そういうことを非難する輩に限って、普段は都会で生活しているような連中であるということです。私自身も都市部で生活していますが、考えてみると、都市部で生活するということは、それ自体が自然を破壊し、動物を殺している(間接的に)ということです。

しかも、田舎のように自然と共存したり、動物と住み分けたりするような謙虚さはありません。皆殺しです。元々そこにあった自然を全て破壊してしまってから、自分たちが安心で便利な暮らしを享受しているわけです。

「私は自分の手で動物を殺したりしていない!」とか言ってもダメです。都市部に生活する以上、元々そこにいた動物を殺したり、追いやったりしているのですから、自分だけ責任を逃れようとするのは卑怯者の考え方です。つまり、自分たちは動物や自然を都市に変えてしまったクセに、自然と共存しようとしている人のやることを非難するんかい!! というところに違和感を感じるのです。

「動物を殺したらかわいそう」? そんなことは、鏡に向かって言っとけ!!

ふぅ。
まあ、私も狩猟はしますが、基本的にはスポーツハンティングには反対ですよ。もちろん、自分はやらないだけで、そういうのが好きな人を批判するつもりはありませんけど。

スポンサーリンク